
株式会社カプコンから発売されている「ストリートファイター」で、長年夫婦でプロゲーマーとして活躍している「ももち」選手、「チョコ・ブランカ」(以下、チョコ)選手にインタビューを敢行。プロゲーマー、夫婦、経営者の3つの顔を持つお二人に、仕事への情熱や未来のeスポーツなどについて、話を聞いた。
プロフィール
Echo Fox
アメリカのプロゲーミングチーム。「Echo Fox」には、「ストリートファイターV アーケードエディション」(以下、ストリートファイターV)を始め、「リーグ・オブ・レジェンド」※1、「Call of Duty」※2、「大乱闘スマッシュブラザーズ」※3など、様々なゲームのプロゲーマーが所属している。
「ももち」選手

プロゲーミングチーム「Echo Fox」所属、「ストリートファイターV」のプロゲーマー。2014年に開催された世界大会「CAPCOM CUP」※4で優勝、さらに、2015年に開催された「Evolution Championship Series」※5(以下、EVO)で優勝を果たすなど、世界を制したプロゲーマーの1人。現役でプロゲーマーを続けながら、株式会社忍ism(以下、忍ism)の代表取締役を務める。2018年には忍ismで「ストリートファイターV」のプロゲーミングチームを発足し、後進の育成に力を注いでいる。
Twitter:@momochi212
「チョコ」選手

プロゲーミングチーム「Echo Fox」所属、「ストリートファイターV」のプロゲーマー。日本人女性初のプロゲーマーとして活躍中。現役プロゲーマー兼、忍ismの取締役を務める。2017年には女性ゲーミングチーム「Project gaming girls」※6(以下、P2G)を発足し、女性ゲーマーの地位向上に力を注いでいる。
Twitter:@chocoblanka
「ストリートファイターV」はどんなゲーム?
1対1で行われる対戦格闘ゲーム。プレイヤーは各キャラクターを駆使し、制限時間内で、対戦相手と戦う。体力ゲージを0にするか、対戦相手の体力をより削ったプレイヤーの勝利となる。
eスポーツとして世界中で盛り上がりを見せており、2018年の世界大会の賞金総額は、約4000万円。数多くの日本人が活躍しているゲームタイトルとしても有名だ。
ゲームをもっと知りたい方はこちら「ももち」選手・「チョコ」選手 ロングインタビュー
「ももチョコ」※7がプロゲーマーとして生まれた原点を探る
── お二人の小さい頃は、どのような子供でしたか?
ももち:僕は、物心がついた頃からゲームが好きな子供で、家に「ファミリーコンピュータ」※8(以下、ファミコン)があって、初めて遊んだゲームは「スーパーマリオブラザーズ」※9でした。
その後、父に「スーパーファミコン」※10を買ってもらって、友達を家に呼んで遊んだり、運動も好きだったので、友達と一緒に外で缶蹴りをしたりサッカーをして遊んでいました。
子供の頃は、ゲームで遊ぶことも外で遊ぶことも、どちらも好きでやっていたので、すごくエネルギーがありました(笑)。
チョコ:私は、小さい頃は目立つことが好きで活発な子供でした。小学生の頃は、目立ちたがりの性格が高じて、毎年、学級委員長に立候補していましたね。
また私は、女の子がするおままごとのような遊びよりも、男の子と外で追いかけっこをして遊んでいたり、戦隊もののテレビを見て盛り上がったりしているような子供でした。
── 「チョコ」選手は、ゲームをやり始めたのはいつ頃でしたか?
チョコ:私も、「ももち」選手と一緒で、物心がついた頃には家に「ファミコン」があって、「スーパーマリオブラザーズ」で遊んでいました。
ももち:僕らが子供の頃は、一家に一台「ファミコン」があった時代なんだと思います。
── ゲームセンターに行くようになったのは、いつ頃でしたか?
ももち: 僕は、小学5年生の頃にゲームセンターに行き始めました。
チョコ:私の地元にはゲームセンターがなかったので、ゲームセンターに行き始めたのは、大学生になり愛知県で一人暮らしを始めてからです。ゲームセンターでは、「ストリートファイターⅣ」で遊んでいました。
── お二人の出会いは、愛知県のゲームセンターだとお聞きしました。「ももち」選手は、なぜ愛知県に引越ししたのですか?
ももち:僕は、地元が愛媛県で、祖母と暮らしていたのですが、僕が18歳か19歳くらいの頃は「ストリートファイターⅢ」にのめり込んでいて、愛知県に行けば強いプレイヤーと戦えると思い、愛知県に引越しをしました。
── 「ストリートファイター」は、愛知県出身の強いプレイヤーがたくさんいる印象です。「ストリートファイター」に地域性はあるのでしょうか?
ももち:「ストリートファイター」は、地域性がすごくあります。昔は、ゲームセンターという小さなコミュニティでテクニックの共有がされていたので、通っている地域のゲームセンターごとに特色がありました。
ゲーム大会に参加すると、地区大会を勝ち上がってきた地方のプレイヤーが、全国大会で地域独自のテクニックを披露して勝つことも多かったです。
特に、名古屋の一部地域はテクニックが磨かれていて、修羅の国と呼ばれることもありましたね。
今はインターネットが普及しているので、トッププレイヤーのテクニックを動画配信で見ることが出来て、すぐに真似が出来ます。でも、昔はテクニックの共有は地域のゲームセンターのみで行われていました。
── 今も、当時ゲームセンターで一緒に遊んでいた人とは、交流があるのでしょうか?
ももち:今も交流はあります。とはいえ、「ストリートファイターⅢ」で遊んでいた頃の人たちは、皆さん年上だったので、今は40歳くらいの人たちが多く、家庭を持っているので、残念ながらあまり会えていないです。
── なかでも、この人に影響を受けたという人物はいますか?
ももち:僕が影響を受けた人は本当にたくさんいます。
愛媛県にいた頃は、行きつけのゲームセンターの店長がすごく「ストリートファイターⅢ」が好きで、僕はその店長に「ストリートファイターⅢ」を教えてもらいました。愛媛県でゲームセンターの店長に出会ったことが、僕が「ストリートファイターⅢ」にのめり込むきっかけになりました。
さらに、僕の同級生には、僕よりゲームが上手い人がいます(笑)。同級生と一緒にゲームをやり続けていたから、僕は強くなれたのだと思います。
愛知県に引越しした時は、僕より上の世代のお兄さん達にすごく可愛がってもらいました。僕は若かったこともあり、お金があまりなかったので、ゲームセンターに行くにも毎回お兄さん達の車に乗せてもらい、ゲームセンターまで遊びに行っていました。
皆さんがいたおかげで、僕は「ストリートファイター」のプロゲーマーになるまで、長く続けて来られたのだと思います。
── 「チョコ」選手は、影響を受けた人物はいますか?
チョコ:私が影響を受けた人物は、「ももち」選手です。
私は、何度かゲームをやることが嫌になってしまうこともありましたが、「ももち」選手がいたから、今に至るまでゲームを続けて来られました。
プロゲーマーとして尊敬していて影響を受けている選手は、アメリカの「ジャスティン・ウォン」選手※11です。日本にプロゲーマーがいない頃から、格闘ゲームでプロゲーマーになっている選手で、世界でもプロゲーマーの先駆け的な存在です。格闘ゲームが強いだけではなく、人間性も素晴らしい人で、こんな人になりたい、と思わせてくれる憧れの選手です。
── 「チョコ」選手は、「ジャスティン・ウォン」選手と話したことはありますか?
チョコ:最初、「ジャスティン・ウォン」選手は憧れの存在だったのですが、その後同じプロゲーミングチームに所属することになりました。今は、プロゲーマーとしての悩みも相談できる仲になり、家族のような存在です。
プロゲーマーになって考え方も変化してきた8年目

── ゲームセンターで遊んでいた頃はどんな仕事をしていましたか?
チョコ:私は、大学生だったので、ゲームセンターでアルバイトをしていました。働いたお金のほとんどは、ゲームセンターで遊ぶために使っていたので、ゲームセンター側からすると、すごく良いスタッフだったと思います(笑)。
また、就職をした頃は、睡眠時間を削ってゲームセンターに遊びに行っていました。仕事が終わったら、一時間かけて名古屋に行き、朝までゲームで遊んで、家に帰って少し寝て仕事に行くという生活を半年ほど続けていました(笑)。
ももち:僕は、フリーターでした。アルバイトをしながら、土日はゲームセンターで遊んでいました。
土日は、名古屋のゲームセンターで0時まで遊んで、車で岐阜県にある24時間営業のゲームセンターに行き、朝まで遊んで、朝になったら名古屋のゲームセンターに戻ってきて夜まで遊ぶ、という生活をしていました(笑)。
── とてもすごい生活ですが、「チョコ」選手も岐阜県まで行っていたんですか?
チョコ:さすがに岐阜県までは行っていないです(笑)。名古屋にも24時間営業のゲームセンターがあったので、そこで遊んでいました。2人とも当時はゲームセンターにばかり行っていました(笑)。
ももち:当時は、プロゲーマーになった今よりもゲームをやってました(笑)。
── プロゲーマーになったのは、「ストリートファイターⅣ」からとお聞きしました。なぜプロゲーマーになろうと考えたんですか?
ももち:プロゲーマーになろうと考えたきっかけは、「ウメハラ」選手※12がプロゲーマーになったからです。それまで、日本にプロゲーマーという職業はなかったので、プロゲーマーになろうと思ってゲームを続けていたわけではありませんでした。
「ウメハラ」選手がプロゲーマーになった時には、すでに僕自身もプロゲーマーになれるくらいの強さを持っていたので、プロゲーマーになろうと考えました。
僕がプロゲーマーになったのは23歳くらいですが、同世代は、就職をしてゲームにのめり込むほどの生活はしていないと思います。僕も23歳前後は、このままゲームを続けていいのかと、将来の不安を抱えながらフリーター生活をしていました。
でも、僕は、将来の不安を抱えながらも、格闘ゲームの魅力に取りつかれていた10代の頃と変わらない気持ちで、ゲームを続けてきたので、プロゲーマーになれたのだと思います。
── 「チョコ」選手は、なぜプロゲーマーになろうと思ったんですか?
チョコ:私は、最初は全くプロゲーマーになる気はありませんでした。プロゲーマーになれるような実力もなく、プロゲーマーはもっと実力のある人がなるものだと思っていました。
私は、「ももち」選手をプロゲーマーにしたいと思い、各メディアを使って、「ももち」選手のことを海外に向けて発信したり、各プロチームにメールを送ってアピールしたりと、いろいろな営業活動をしていました。
その結果、アメリカやシンガポールなど、海外のゲーム大会に2人揃って招待してもらうこともありました。
私は、海外プレイヤーとの交流がとても楽しかったので、たくさんの海外プレイヤーと交流したいという気持ちが芽生えました。私もプロゲーマーになれば、その夢が叶うかもしれない、とは思いましたね。
その後、「ももち」選手をプロゲーマーに誘ったチームオーナーが、私のことまでプロゲーマーに誘ってくれました。もちろん、プロゲーマーに誘われたことは嬉しかったですし、ゲームをずっとやっていたかったので、すぐに引き受けたかったです。
でも、チームオーナーが私のことを強い選手だと勘違いしているのではないかと、不安になり、私は「強い選手ではないが、プロチームに所属しても大丈夫か」と確認しました。
チームオーナーは「プロゲーマーは強さだけではなく、チョコ選手にはチョコ選手のやれることがあるから、ももち選手と一緒にプロゲーマーにならないか」と言ってくれました。
私は、チームオーナーの言葉が後押しになり、「自分にしか出来ないことがあるならやってみよう」と、「ももち」選手と一緒にプロゲーマーになることに決めました。
── プロゲーマーになって良かったことは?
ももち:僕たちは数年前まで「年に何回も海外に行けます」とか「ずっと好きなゲームをやり続けられます」などと言っていましたが、8年間プロゲーマーを続けているので、良かったことも変化してきました。
チョコ:プロゲーマーになりたての頃と最近では、海外に着いた時の疲労感が全然違います(笑)。
ももち:家から成田に行くだけで、すでに疲れています(笑)。という冗談はさておき、最近では、職業としてプロゲーマーがどうあるべきかを、自分なりに開拓していけるのがプロゲーマーになって良かったことだと思っています。
日本ではプロゲーマーはまだ始まったばかりなので、将来の不安も大きいですが、その分、自分の頑張り次第で、プロゲーマーの認知度が向上したり、将来プロゲーマーを目指したいという若者が増えたりするので、すごくやりがいのある仕事になっていると思います。
チョコ:私は、仕事でゲームが出来ることと、世界中に友達の輪が広がったことが、プロゲーマーになって良かったことだと思います。
── プロゲーマーになって大変だと思うことは?
ももち:僕が大変だと思うことは、良かったことと表裏一体です。プロゲーマーは、やりがいがありますが、将来は不安ですね。
例えば、来年から「ストリートファイターVのプロツアーはありません」と言われたら、賞金制の大会がなくなってしまい、自分たちのプロゲーマーとしての価値がなくなるかもしれません。
さらに、次回作の「ストリートファイターⅥ」がいつ発売されるか分からないですし、次回作が発売されても、僕たちが勝てるとは限らないシビアな世界です。
プロゲーマー専業で生計を立てていこうと思ったら、流行りのゲームタイトルに乗り換えてでも、賞金を稼げるくらい強くなる必要があります。
── 2014年の「CAPCOM CUP」と2015年の「EVO」では、世界大会優勝を果たしていますが、生活の変化はありましたか?
ももち:2014年5月に、僕らは愛知県から関東に引越ししてきました。その後、同年の年末にあった「CAPCOM CUP」で優勝が出来たのです。
なので、2014年は、生活環境の変化とゲーマーとしての環境の変化が重なった年でした。
チョコ:私たちは、「ももち」選手が獲得した賞金を使って、格闘ゲームのイベントを開催したり、2015年には会社を設立することが出来ました。
── 各メディアに多く出演し始めたのも、2014年頃からですか?
ももち:そうです。僕らのメディア出演の機会も2014年頃から増えました。
関東に引越ししてきていたこと、「CAPCOM CUP」で優勝したこと、会社を設立したこと、さらにeスポーツの賞金額も右肩上がりに増えてきていたことなどが重なり、各メディアに取り上げていただける機会も増えていったのではないかと思います。
── 2017年には「Evil Geniuses」※13(以下、EG)から「Echo Fox」へ所属チームの移籍がありましたね。
ももち:そうです。でも、所属チームが変わったからと言って、僕らの環境に大きな変化はなかったです。
実は、僕らと同じタイミングで「EG」のチームメイトだった「ジャスティン・ウォン」選手も一緒に「Echo Fox」に移籍しました。さらに、「EG」のマネージャーだった人も、「Echo Fox」に移籍し、マネージャーになっていました。チームメイトもマネージャーも変わっていないので、同じ環境でゲームをやらせてもらっています。
また、僕らはプロチームとして活動をしていますが、格闘ゲームにおいて、戦う時は1人なので、団体競技とは違い、チームが変わることでの変化は少ないのかもしれません。
チョコ:私たちは、ずっとアメリカのプロチームに所属していますが、昔から日本での活動は、自分たちでやってきました。なので、所属チームが変わったからと言って、日本の活動に変化はありませんでした。
まだまだ続く。次はゲームコミュニティの変化と将来の不安をどう払拭していくのか。

※1 リーグ・オブ・レジェンド:アメリカのRiot Games社が開発したリアルタイムストラテジーゲーム。
※2 Call of Duty:アクティビジョン社、株式会社スパイク、株式会社スクウェア・エニックス、株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントから発売された、戦争をテーマとしたゲームの総称。
※3 大乱闘スマッシュブラザーズ:任天堂株式会社から発売された対戦アクションゲームの総称。
※4 CAPCOM CUP: 1年を通して世界で開催される「ストリートファイター5」のCAPCON Pro Tourの決勝大会。
※5 Evolution Championship Series:対戦型格闘ゲームのeスポーツ大会の1つ。
※6 Project gaming girls:ゲームを楽しむ人を応援する女性ゲーミングチーム。
※7 ももチョコ:「ももち」選手と「チョコ」選手を2人合わせた愛称。
※8 ファミリーコンピュータ:任天堂株式会社が1983年に発売した家庭用ゲーム機。
※9 スーパーマリオブラザーズ:任天堂株式会社から発売された横スクロール型のアクションゲームの総称。
※10 スーパーファミコン:任天堂株式会社が1990年に発売した家庭用ゲーム機。
※11 ジャスティン・ウォン選手:格闘ゲームのプロゲーマー。アメリカのプロゲーミングチーム「Echo Fox」所属。
※12 ウメハラ選手:ストリートファイターVのプロゲーマー。「Amazon.com社のTwitch」、「Red Bull社」、「キングストンテクノロジー社のHyperX」、「株式会社Cygames」とスポンサー契約。
※13 Evil Geniuses:アメリカのプロゲーミングチーム。
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